ささちゃんくらい

ただの屑籠

ゴスロリを着てエジプトに行きたい

もう少しで21歳になってしまう。

18歳の10月からこのブログを始めて自由に好きなように書き続けていたが、たまにはお題に沿って書いてみるとする。小論文みたいに明示されたお題に沿って型にはまった書き方をしていくのはほんとは好きじゃないんだけどね。

 

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

明日で2023年になるので2023年にやりたいこと

20年間生きていてまだまだ経験が足りないなってつくづく感じるんだよね。コロナ渦でライフイベントにことごとく参加できなかったっていうのもあるんだけど、精神的に不調が続いて学校の勉強もままならなかったから。

 

このまま死ぬんじゃないかという死が迫っている危機感というよりは死を手繰り寄せるような自ら望んで死に向かっていった感覚。

 

ごめんなさい。縁起でもないですね。

 

そんな感覚になって気づいたのは、

「人生終わらせようと思えば終わらせることなんて容易くできるんだから自分の思うように、めちゃくちゃに、好き勝手に暴れまわってやるのもありなんじゃないか」

 

破壊衝動ですね。

 

破壊衝動を抑えられない私が考えた、好き勝手に暴れまわること。それは自分の好きな格好をして知らない街に行って作品を作ることですね。

 

全然好き勝手に暴れてないじゃん。かなえようと思えばすぐに実行できるかわいい望みじゃんって思われたかもしれない。

 

「具体的には?」と問われるとゴスロリを着てエジプトに行ってMVを作りたいですね。

学校やアルバイト、就活、研究、実習…。到底2023年に実行できるとは思えません。

やることすべて放棄して逃げ出してゴスロリを着てエジプトに行ってMVを撮りたいのです。

 

逃避なんです。好き勝手暴れるというのは一時的には本人を満たせるかもしれないが、その裏で私がかけた迷惑によってしりぬぐいさせられる人が存在する。

 

そう考えてしまうとなかなか踏み出せない。

そうやって踏みとどまっているうちは自分のやりたいことはできない。

 

どうすればいいんだ。ジレンマ。

「妥協すればいいのでは?」

妥協して得たものは手放すのが簡単になる。

 

やるべきことが終わってから、そうやって先延ばしにしているとどんどん寿命に近づいていく。気づけば年金を払う側からもらう側へ…(うちらの世代は年金をもらえるのだろうか)

 

だから2023年、意地でもやりたいことを達成する!

と言い聞かせて淡々と日々やるべきことに飲み込まれていくのかな。そうやって大人になるのかな。でもゴスロリを着てエジプト行ってMV撮りたかった気持ちに嘘偽りはないと胸を張ってこの感覚を思い出せるようになっていきたい。

 

以上です!