ささちゃんくらい

ただの屑籠

全然コロナじゃなかった

(本当にあった話ですが、一部個人情報などをわかりづらくしています。自分の備忘録のためでほかの人に参考になるようなことは書いていません。医学知識にとほしい素人が書いたものですがそれでも読んでくださる方は読み進めていただけたら嬉しいです。)

 

一か月くらい前の話だ。高熱が出た。熱くて寒くて死にそう。だるくて体が動かないので学校に連絡をした。

「保健所に連絡してください」

そういわれたので素直に保健所へ連絡をした。住所や氏名電話番号など個人情報を聞かれた後に、症状の説明をした。

 

急病センターへ行って来いというので急病センターへ向かった。

ふらふらして今にも吐きそうだった。袋を持っていけばよかったなと思うけど、袋を持っていったらもっと嘔気が増すと思うのでもっていかなくてよかったかもしれない。げろは雪が隠してくれるだろうし。嘘ですさいあく。急病センターにつくと雪かきをしていた眼鏡の男がいた。付き添いの家族が男に尋ねる。

「急病センターの受付はどちらですか」

「急病センターは夜からしかやっていませんよ。」

フラフラの頭で家に帰ろうとすると男がこういった。

「保健所の者にそう言われたんですか。」

まあそういわれたから来てるんだけどなと思いつつ一言でもしゃべると胃液(何も食べていないので出るものがない)が出そうだったのでこくんとうなずくだけした。

「じゃあ、そいつ知り合いなんで言っておきますよ。」

 

別に怒ってほしいわけではなかったし、また夜に行けばいいだけの話なのでどうでもよかったが、コミュニケーションを長く続けられる状況にもなかったので付き添いの家族がありがとうとだけ伝えて場を離れた。

 

当時、私の症状は発熱のみであったが、PCR検査を受けることができた。

PCR検査の話の前に詳しい症状について書いておきたい。

1月某日に尋常ではない寒気と熱感とだるさを感じ、熱を測った。学校がものすごく嫌だったので、学校いやいや病かと思ったが、そんなことはなかった。体温計を見ると38.8度であった。普段めったに熱を出さない体質であったので驚く。

同居している家族に伝えると、すぐさま隔離措置が取られた。自分の部屋に幽閉され同居人が部屋に尋ねるときはマスクを二枚重ねにし消毒をかかさずする。必要最低限しかしゃべらないなど。でも濃厚接触者にあたるので検査の結果が出るまではしばらく仕事に行けなかった。仕事の遅れを取り戻すのがとても大変だったと憤っていた。非常に申し訳なかったと思う。

 

全く心当たりはなかった。そもそもインドアであり、入学してからというもの学校とアルバイト先と家の三角関係を行ったり来たりするだけ。友達と学校外では全く顔を合わせないどころか、必要事項以外連絡しないというこの根暗ぶりである。

ただ一つあるとすれば、アルバイト先だ。発熱の前日。ぴんぴんしながらアルコールを伴う飲食店で接客のアルバイトをしていた。夜のシフトにはしばらく入っていなかったものの昼にも十分感染リスクはある。マスクを外さないで接客にあたるが、なんと朝10時からべろんべろんフランフランでへたり込んでしまうほどの酔っぱらいはいるし、地方で感染者は少なく油断してマスクを外しカウンターの前のビニールカーテンをのれんのように潜り抜け、話しかけてくる人はいる。高校生だろうが高齢者だろうが気を付ける人もいれば気が緩んでいる人もいる。自分が見てきた狭い視野で決めつけたくないのでどの年代が一番危機感がないなどの無責任な発言はしたくない。

発熱の前日は土日祝日だったのでやけに人が多かった。

感染するならそこしかないだろう。早い段階で私も家族も決めつけていた。

 

前述したように、発熱したその日のうちに連絡をし、大学からはありがたいことに、休んだ分の出席などは配慮するという話だった。

 

急病センターの中に入ると厳重な防護服を着た受付の人が二名いた。よろよろしながら問診票に記入し、医師の問診などを受けた。解熱剤をもらい、PCR検査の予約の紙を受け取り、帰路につく。PCR検査は公共交通機関などは使わず、ドライブスルー方式が主だそうだ。ただ自動車免許を持っていなかったので徒歩で行くことになった。

余談だが、急病センターの中にあったテレビが印象的だった。普段なら絶対思わないのにウエンツ瑛士の顔がきれいだなあと見とれてしまった。

 

PCR検査の日。一応インフルの検査も受けることになった。風呂に二日ほど入っていないのに外出という潔癖症にはつらい事案だったが人とそんな接触しないしフードをかぶっていけばいいと思っていたので歩みを進めた。

紙には職員に声をかけなくてよいと書いてあったので会釈だけして進もうとしたら防護服を着た男の警備員に声をかけられた。首を縦に振ったり横に振るだけじゃコミュニケーションが取れない内容だったのでマスク越しに声を発した。

 

猛吹雪の中、外にPCR検査会場があったので時間までしばらく待つことになった。

仮設トイレの前のストーブでひたすら待つ。屋外にストーブを置いていいんだ!とどうでもいいことで感嘆した記憶がある。

PCR検査は水をたくさん飲むことで唾液を出しやすくするそうで、直前にたくさん水を飲んでいた私は唾液の量は満たしていた。インフルの検査は一回やったがものすごく鼻の奥の奥まで突っ込まれた記憶がある。今回もかなり奥まで突っ込まれて泣きそうになりながら検査を終えた。インフルの検査結果だけその場ですぐ出るそうなので、少し待った。

 

「マイナスです」

 

その声を聴いたとたん安堵するよりも不安が襲った。コロナだったらどうしよう。まず学校とバイト先に連絡して、、家族はどうなるんだろう。報道されるのかな。

私は自分の症状の心配よりも報道の心配をしていた。

地方で暮らしているといいことばかりではない。噂話が広まりやすい。

「あの○○市ででた高校クラスターってあの高校の○○部だって!」

「○○病院の院長さん、陽性だって!大丈夫かしら」

「○○さん家、東京から息子さん帰省してるみたい。広めたりウイルス持ってきてたら、、」

普段そういった噂話を聞いてもフーンとしか思っていなかったのに、いざ自分がそういた噂をされる側になるという恐怖でいっぱいだった。

 

大学でもインスタとかでどんどん拡散されて名前まで知れ渡って、、どんどん悪い方向に想像が膨らむ。村八分。今も十分あるのではないか。

 

検査の結果の二、三日後に電話がくる。「結果ですが、陰性でした。」

 

その電話がくるまで家族への罪悪感でいっぱいだった。ただ読書とテレビ鑑賞だけする家族の姿に申し訳なさを感じていた。仕事ももっと進めたりほかのことをしたいだろうに。そして看病してくれた家族への感謝でいっぱいだった。きれいごとではなく本当に看病してくれる人がいるだけでなんて心強いのだろうと思った。吐きそうでずっとトイレにこもっていた時も

「そんな寒いところいないでちゃんとあったかくして寝なさい。枕元にゴミ箱を置いておけば大丈夫だから」

その言葉で結局ぐっすりと安心して眠ることができた。

 

学校に連絡すると一言目にはよかったと言ってくれた。学校に行けなかった期間も大学の友人たちはラインにメッセージをくれたし、熱が下がって学校に行ってからもよかったと声をかけてくれた。

 

全然コロナじゃなかった。コロナでなくてよかった。安心したけれど、まだまだ誹謗中傷に悩む人や学校、職場など社会生活をする場で不当な扱いを受けている人がいる。そういった人たちが救われるように。

こういった時期だからこそ、人のぬくもりを改めて感じた。誰もがそういえる社会になったらいいと思う。珍しく私にしてはまともな文章を書いてしまった。